« LPIC201試験とクレジット限度額と緊縮財政 | トップページ | 基本情報試験の結果について、昨日の飲み会、今後の予定 »

2015年5月10日

謂學不暇者 雖暇亦不能學矣

ブログのタイトルを変えたのは特に理由がない。
今回の記事のタイトルが元ネタ。
この言葉について説明する。

西の家に、ある男がいた。
ある時、東の家に住む男の母親が亡くなり、西の男が様子を伺うと
東の男の哭礼がちっとも哀しそうに見えなかった。
(哭礼:死者を悼む気持ちを表す重要な礼儀。)

西の男が家に帰り、自分の母親に対して以下の言葉を放つ。
「母上、なぜあなたは速く死んでくれないのでしょうか。
 そうすれば私は必ず、貴方の死を嘆いて哭くでしょうに」


自らの母の死を欲する者が、どうして死んだ時に慟哭できようか。
学ぶ暇が無いという者が、どうして暇な時に学ぶことができようか。


つまり、
「時間無くて宿題出来なかったわー」
「やっべー、俺6連勤で勉強する暇ねーよ」
とか言い訳ばっかり言ってる人間に限って、暇があるときに勉強しないのだ。

勉強時間はどうやっても作れる。
手っ取り早いのが睡眠時間を削ること。
人間なんて4時間半寝りゃ充分なんだよ。
疲れてる時だけ6時間寝れば良いわけで、それ以上は無価値だと思っている。
これはレム睡眠とノンレム睡眠のサイクルが1時間半だという認識に基づき、
1時間半×3回、あるいは4回で最低限の疲れは取れるという持論である。
次に隙間時間を活用すること。
電車内でスマホ片手にLINEでくだらん会話をやるよか
参考書を読んだ方が有意義である。
仮にそれが満員電車であったとしても、邪魔にならなきゃ良いんだよ。
こちらが電車内の人間に意識することもなければ、
電車内の人間もこちらに意識することがない。
「ウザいなあ」と思われても職場や学校に着けばそちらに意識が向いて忘れる。
俺から言わせれば、音漏れしているイヤホン付けた奴を電車内で見つけた方が
よっぽどウザいし、ストレスが溜まる。
つまり、所詮一期一会未満の人間関係なら無視して問題ない。

こういう小さい部分のやりくりを使った積み重ねで、
出来る人間と出来ない人間の差がつく。
努力は裏切らない。
努力して得られたものは努力しないで得られたものよりも貴重だ。
だから俺は勉強しているんだろうな。

あと8年。
あと8年は走り続けると去年から決心している。
それが終わったら、改めて身の振り方を考えれば良い。
それまでは「努力」の二文字の下、勉強しよう。

社会人になる前に死んだ友人が何人かいる。
社会人になった後で鬱になった友人もいる。
幸せの定義なんてものは人それぞれだが、
俺にとっては一日を無駄なく過ごすことで幸せが見えてくると思っている。
だから、目標を達するまではどんなことでも耐えてみせる。

« LPIC201試験とクレジット限度額と緊縮財政 | トップページ | 基本情報試験の結果について、昨日の飲み会、今後の予定 »

雑感」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« LPIC201試験とクレジット限度額と緊縮財政 | トップページ | 基本情報試験の結果について、昨日の飲み会、今後の予定 »