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2016年5月11日

ゴールデンウィークと祖父について

2016年5月2日午前に祖父が死去した。
その関係で俺のゴールデンウィークはほとんど潰されることになった。

5月2日
仕事終了後、京浜東北線に揺られる中で訃報を知る。
速やかに同僚に連絡し、6日は休む可能性が高いことを告げる。
6日に実施予定の打合せはかなり重要な内容だっただけに気落ちした。

5月3日
朝4時半の京浜東北線に乗る。
さいたま新都心駅で高崎線に乗り換え、
高崎駅で上越線で水上を経由し、長岡へ。
長岡駅で信越線に乗り、新潟へ。この時点で12時。
新潟駅から村上駅乗り換えで羽越線で鶴岡へ。
16時前に到着するも、葬儀用の革靴を持ってきていないことに気づき
鶴岡の靴流通センターへ向かう。
しかし滅茶苦茶遠い
こんなに遠いなら先に荷物を家に置いてくれば良かったと後悔した。
18時頃に家に到着。
シャワーを浴びてから住職との打合せに出席し、棺を運び込む。
納棺師の仕事を確認してから自室で忌引休暇(5月6日分)を申請する。
23時前に就寝。

5月4日
7時過ぎに起床。
祖父の衣装整えに出席する。
三角頭巾を頭に付けるというのは嫌がる遺族が多いとのことなので
袋に入れる。
手甲と脚絆を付け、足の裏に10円を1枚ずつ入れる。
これが六文銭の代わりになる。
葬儀用の花を注文し、親、叔父、伯母、孫一同の花を用意する。
花の注文と親族への連絡は叔父が担当した。
棺に入れる物を準備する。
「祖父は本が好きだった」と叔父は本を入れた。
「祖父の服を入れる」と伯母は押入れを探すも空振り。諦めた。
「最初に出版した本を入れる」つもりだった父親はその本を忘れてくる始末。
「最近出した文庫本なら鶴岡でも売ってるかも」と助言し、
鶴岡の六本木で無事本を購入できた。
ちなみに俺は自分の名刺を入れた。
18時に身内のみで通夜を開始。場所は自宅の広間。
弟は1時間半遅刻。何をやってるんだか。
通夜振る舞いでは酒を飲まず、専ら烏龍茶で喉を潤す。
従弟と数年ぶりに会った。確か菓子の大手メーカーに就職していたはず。
従姉は戸籍を外しているので出席せず。家庭崩壊って怖いね。

5月5日
7時に起床。
朝ご飯を食べた後、棺を寺へ運ぶ。
告別式は代々の墓がある寺で行った。
真宗大谷派では、住職だけでなく、参列者もお経を唱える必要がある。
告別式終了後に火葬場へバスで向かう。
バスを待っている間に食事をとるのだが、
昨日今日共に稲荷寿司と太巻が主体であり、いい加減飽きるレベルである。
火葬終了後に遺骨を拾い、再度寺へ向かう。
ここで住職や参列者と共に食事を取る。おなか一杯。
家に戻り、通夜で使用した道具一式の片づけを手伝う。
忌引休暇は連続3日であり、翌9日、10日は取れないと言われたため
6日のみの適用を再度申請した。
22時に就寝。

5月6日
7時に起床。
朝ご飯を食べた後、宅急便で実家に送る荷物を詰める。
11時に羽越線特急に乗り、実家へ帰る。
本日はそのまま宿泊。

5月7日
6日に送った荷物が到着したので、再度自宅へ送る。
同時に母親の実家の不動産売却の打合せに出席するため鎌ケ谷へ移動。
売却代金から遺産分割の手間が面倒すぎると母親は嘆いていた。
そのまま自宅へ帰る。

5月8日
一日ぐったり。


こんな感じのゴールデンウィークだった。

せっかくなので祖父自身の話をしよう。
祖父は鶴岡の当時豪農の3男として生まれる。
全員で7人兄妹だったかと記憶している。
下の妹は後妻との子供である。
戦時中だったからか、兄妹の中で早いうちに死んだ者が多い。
例えばすぐ上の兄(次男)は戦死している。
一番上の兄はシベリアに抑留されている。
また、豪農と言えば聞こえが良いが、
祖父の父親は「事業を起こすも失敗」を連続して繰り返し、土地を全て失う。
結果、一家離散となる。
ちなみに、一家離散が原因で祖父の旧姓は絶滅することとなる。
祖父自身は戦後新潟でタクシー運転手として勤務し、
上司の勧めで国鉄の試験を受け、転職する。
国鉄はキャリアとノンキャリで扱いが違うので
ノンキャリの祖父は事務仕事中心だった。
一方でタクシー運転手だった技術を生かし、
国鉄の運転指導員として主に活躍した。
この頃、新潟で旅館を営んでいた祖母と結婚(婿入り)する。
出会ったきっかけは遠縁(祖父の従姉の旦那?)の紹介だと記憶している。
定年まで国鉄で勤務した後、日本旅行に再就職して働いた。
祖父は多趣味であった。
前述した読書の他、社交ダンスやソフトテニスなども嗜んでいた。
しかし祖母はそれらを「くだらない」と罵倒し、夫婦喧嘩は絶えなかった。
一方で祖母も祖母で欲しい物(特に着物)は何でも手に入れる性格であったため、
夫婦喧嘩に一層の拍車をかけたのは言うまでもない。
俺の知っている祖父母は仲が良い認識であったため、この事実は驚くものだった。
伯母曰く、祖母が倒れてからつきっきりで祖父が看病して
最後は円満な別れ方ができたのが良かったと言っていた。

享年満98歳。戦前では数え年でカウントするため、99歳である。
去年の夏頃に祖父が暮らす柏市の施設を訪れたのが俺の最後である。
既に認知症を患い、俺を認識していなかったが
当時97歳とは思えないほど若く見えたのはよく覚えている。
祖父は下戸であった。
一時期喫煙していたが、壮年となった頃に禁煙もした。
だから長く生きられた。
俺はきっと祖父ほど長くは生きられないだろう。


どうでもいいが、今の仕事が激忙しくて別の意味で長く生きられなさそう。

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